水上悟志『スピリット・サークル』第1巻

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水上悟志『スピリット・サークル』 第1巻 少年画報社

 14歳の桶屋風太は真城鉄馬、海島水乃、野々村雅火、高山大樹の四人の友人に囲まれ、現代の日本で平穏に暮らしていた。その日常が、額に大きな傷をつけた転入生・石神鉱子の登場と共に一変する。彼女は風太を見たこともない不思議な輪で殴りつけ、階段から突き落とす。そして、「妙な夢」を見た後に病院のベッドで起きた彼にこう言い放つ。「あんたにはあと/7回死んでもらうわよ」。

 水上悟志の新しい連載は生まれ変わりをテーマにした作品だ。桶屋風太は、遠い昔の亜熱帯の国では精「霊」が視える靴屋の息子フォンであり、恋人の「レイ」を村の儀式の生け贄として殺されて逆上し、「レイ」を殺した神官の娘ストナに斬りかかったところで逆に首をはねられてしまう。その神官ストナこそが転入生・石神鉱子の過去生だった。
 他方、中世のヨーロッパらしき世界では、風太は貴族の長男ヴァンであり、「魔女」と言われていた女を殺す。そのときの格闘で彼女に押し当てられた暖炉の石のあとが、現代の風太の頬に痣として残っているのだった。その「魔女」と言われている女が鉱子のもうひとつの過去生である。
 単身、「魔女」の家に乗り込んだヴァンは「一目見て胸の奥で誰かが叫んだ/「こいつは敵だ!!早く殺せ!!急がないと大切な者が殺されるぞ」」と心の内で述べている。そのときの彼の体には、おそらく神官ストナに首をはねられたフォンが叫んでいる姿が描かれている(p.138)。殺されたフォンの憎悪が、生まれ変わったヴァンをして、ストナの生まれ変わりである「魔女」を殺させたのだ。フォンの最期を描いたシーンで、彼には視えていた森の精霊たちが涙を流しながら語りかけている。「怖がらないで/怒らないで/憎しみは/次の生を」(p.63)。精霊たちはこれに続く言葉を何か述べていたのかもしれないが、儀式の舞台から転げ落ちていくフォンの耳には届かなかった。だからこそ、フォンの憎悪がヴァンの生を狂わせていく。
 「魔女」によって頬に烙印を与えられたヴァンは忌み者として家を追われ、自分を殺しに来たスティールを逆に雇って子分にし、教会批判をしていた遍歴説教師のグラスと弟子のシエロを匿って一緒に暮らす。彼らとの暮らしは中年を過ぎる頃まで続いたが、スティールとグラスは先に死に、シエロもまた故郷に帰ると言って家を出て行ったところで、ヴァンは家の前で捨て子を拾う。ヴァンはこの子に「レイ」と名付ける。靴屋の息子フォンであった自分の恋人の名だ。成長し、美しい娘に育った「レイ」を連れてシエロのところを訪れる最中に、ヴァンは転んで頭を打って死ぬ。愛した娘に見届けられ、彼女に感謝の言葉を伝えて幸せに死ぬ。しかし、ヴァンが殺した「魔女」は憎悪を抱えて次の生へと転じたのである。
 第1巻は、風太の過去生フォンとヴァンを中心に話が進んでいくが、例えばヴァンの時に現れたスティールとグラスはその容姿から真城鉄馬と高山大樹の過去生のように見える(それに風太が気づいたような描写がp.192にある)。そして、ヴァンが死ぬときに、シエロと共に近づいてきた二人の少女たちは海島水乃と野々村雅火にも見える(p.189)。そして、現代の吾妻先生はシエロに似た目をしている。おそらく、風太を取り巻く現代の友人たちの過去生も、風太と鉱子の憎悪による殺し合いに関わっていくのだろう。なにより、鉱子が引き連れている「背後霊」イーストと、風太の下に召喚され、彼を「マスター」と呼ぶルンは風太と鉱子の過去生フルトゥナとコーコに関わっていながら現代にも現れ、そして過去生を思い出すたびに魂の表象が増えていくスピリット・サークルにも深く関係している。この彼らの存在の謎と、過去生フルトゥナが何者であったかは今後の物語の核になっていくのだろう。そして、「レイ」は現代においてもまた再び同じ名で現れるのだろうか(現代で風太の母親が妊娠中だというのが、もしかしたら関係してくるかもしれない(p.88))。
 生まれ変わり、生を超えて引き継がれる憎悪と愛情と友情が今の生の葛藤を引き起こす、というモチーフは『惑星のさみだれ』に近い。そして、憎悪に対する「許し」が物語の山を作っていく(例えば、p.82-87)様子は、『惑星のさみだれ』で主人公が祖父に対して抱いていた憎悪と許し、という序盤のテーマにも関わってくる。異形の存在、精「霊」や幽「霊」が視える、というのは水上悟志が多くの作品で扱っている登場人物の特性だ。ただ、こちらは『戦国妖狐』で主題化していることもあってか、本作品では物語の後景に退いている。とはいえ、例えば団地に現れた武士の霊がつぶやいているところを風太は視る(p.114)のだが、そのつぶやきの中で人名だけが黒く塗りつぶされており、もしかしたら後で過去生に関わってくる人物の霊だったことが判明するのかもしれない、といったように、異形の存在を視る能力は物語に良いアクセントを与えてくれている。フォンが聴いた森の精霊の言葉もそうだが、「霊」が物語の核心を予兆させ、「レイ」がそれを現実化するという対応構造が垂直軸を、生まれ変わりが水平軸を描いている、と捉えるのが適切だろうか。いずれにせよ、風太にとって「レイ」の存在が、彼の愛情の向かう先であり、憎悪を引き起こす源であり、生まれ変わってもなお同定可能な、彼のアイデンティティなのである。鉱子にはそれがない(あるいはまだ描かれていないだけなのかもしれないが)。そのことが、彼女に憎悪を先立たせてしまっている。風太が「変わらないもの」を胸に抱きながら、過去生と向き合い、そのすべてを背負って自分の生を変えていかなければならないのが一つの主題だとすれば、もう一つの主題はそのつど変わる風太を殺し、彼に殺される鉱子が風太に対して持つ「変わらない」憎悪をいかに変えていくか、である(その答えは鉱子と同じ名を持つコーコの過去生にあるのかもしれない)。
 輪廻や転生というとオカルトや現実離れしたファンタジーを思い浮かべたくなるが、水上悟志の作品は不思議とそうならない。もっと泥臭く、鈍重で、具象化した死の臭いが漂う。それは作中の人物たちの「今の生」に作品の枢軸があるからだ。私たちは鈍感な生き方をしている。誰かに憎まれ、誰かに愛され、誰かの死と生の上に自分が生きていることを見て見ぬふりをする程度には鈍感な生き方をしている。そうしたことに敏感で居続ける繊細さは単純に言って疲れるからだ。だから、オカルトやファンタジーにおいては、誰かの憎悪、誰かの愛情、誰かの死、そして誰かの生は自分の「今の生」とは異なる次元で語られる。そうすることで、実は「今の生」のなかにそれらが含まれていることを考えないで済むようにしている。現実世界と異世界を行き来するような物語でさえ、憎悪と死を異世界に預けてしまうことで現実世界の「平穏」という虚像を守ろうとしているものは同様だ。だが、水上悟志の作品はそうはできていない。風太は、「自分が死ぬ」ところまでを「思い出す」。「自分が死ぬ」のでなければ「今の生」には戻ってこれないのだ。異世界での誰かの死は、「過去生での自分の死」として描かれることで、「この世界での自分の死」を予兆させる。憎悪や死を現実から切り離すようなオカルトやファンタジーとは逆に、転生が憎悪や死を現実にもたらす。それが鉱子が「あと7回死んでもらう」という意味だ。過去生を思いだし、夢から目覚めることは「生き返り」であるよりもむしろ、死体を引きずって寝床から起き上がる行為なのである。実際、私たちはそういうふうに生きていることを忘れて生活している。
 まだ、第1巻ということで世界観を展開するにとどまっているが、期待が持てる仕上がりになっている。